大阪城落城。
こんばんは。
かなまこです。
お疲れ様です。
明日は何の日というテーマでお話しします。
今日は、大阪城落城について話したいです。
65万石の大名に落とされてしました。
さらに、秀頼が大きくなったら家康は政権を戻すと思っていた豊臣方は本当に怒っていました。
そこで起きた事件が方広寺の鐘銘事件です。
家康は秀頼に薦めて寺の修理をさせました。
その鐘に掘られた「国家安康」という字を見て家康を呪うものだという言いがかりをつけて攻めたのです。
しかし、豊臣方は難攻不落の大阪城に籠りました。
さらに、真田雪村などの武将が活躍して最初の戦いでは勝敗が決まりませんでした。
和睦を結んだ時に、大阪城の内堀と外堀を埋めてしまったのです。
それで次の戦いのときにはあっという間に滅ぼされてしまうのです。
秀頼は優秀な男で年をとっていつ死んでもおかしくなかった家康にとっては怖い相手でした。
死ぬ前に滅ぼさなければならない相手でした。
豊臣氏を滅ぼした1年後に家康は亡くなります。
心配事がなくなって安心して死ねたことでしょう。
ここから太平の世が始まって行くのです。
終わります。
バイバイ!!!